堀江「そう。窓からたまになんか魅力的な景色が見えてくるんだけど、やっぱり一瞬だしね。駅にとまったと思って、「ああ・・・なんかおいしそうなお弁当がある。ああ・・・だけど停車時間3分しかないどうしよう。」そのまま降りてさ、列車から降りればいいのにね。」
聞き手「もう列車行っちゃって、二度と列車来なかったらどうしようと思っちゃうんでしょうね。」
堀江「降りた先の世界を知らないから。ってなると、その列車が自分に合っていなかったら、最悪だよね。だけどほとんどの人たちは、多分、合ってないんだよね。完全には。もちろん、これとこれとこれを諦めたら、その列車に乗れるんだけど、実際乗ってんだけど、その中にもすごいルールがあって、大声では騒いではダメでしょうとか。例えばいろんなルールが勿論ある訳ですね。集団生活とか。それから降りることはできないよね。必ず関門があって、この関門を抜けられないと「この列車から降りてもらえます?」とか言われちゃったりとかして、「えっ、どうすんの・・」みたいな感じになっているから。
ただ、そういう風にするのが最適解だった時代が、これまであったわけですよね。ずっと長い間。工業化社会ってのはそういうもので、そこじゃなくなってるんで・・・。テクノロジーの技術革新が起きて、そうしなくてもよくなってるんですよね。技術的には。だけど、社会制度とか気持ちがそれに追いついていないので、みんなそこにチェンジできていない、ってのが今なんですよね。だから、従来はなかったんだと思うんですよ。大変だと思う。今までの社会規範とか道徳とか、そういうものに従うと見つけるのは非常に大変でしょう、ということになると思うんですけど、今は情報もあふれているし、情報だけでいっぱいあるんですよ。
(堀江氏の幼少期)まず、自分が何をしたいか確かに分からない。ただ、現状には不満がある。だからスゴイ大変だった。(堀江氏が)「塾に行こう」と思っても、でも塾があることを知らなかった。偶然それを教えてもらった。それはラッキーだった。
でも意外と、そういう偶然というのは、さっきの電車から見える窓の景色みたいなもので、あるんですよたまに。言い方を変えると、桃太郎で「ドンブラコドンブラコ大きな桃が流れてきました」みたいな瞬間があって、ほとんどの人たちはそれをスルーするんだけど、「やばい、見ちゃいけないもの見ちゃった。」みたいな感じで、おばあちゃんは、「なんだこの桃は」と思って、その桃を取りに行った。まあ、僕がそういうたとえでよくその話をするんですけど、普通に考えたら、全員スルーするよね。持ち帰って割ってみるんだ。すごいなって思うよね。さらっと当たり前のように、大きな桃を家に持ち帰って・・・。だからあれ子供が見てるから、あれをすんなり受け入れるんだけど、あれ大人だったら絶対受け入れないよね。
駅弁を売りに来た人がいたりなんかして、実は、いっぱいあって、チャンスは実はあるんだけど、それをちゃんとキャッチできるかどうかが、実は大事だって今から振り返るとね。