記事の内容を抜粋してみていきます。
「 ケンキは1996年にテルと「どーよ」を結成。くりぃむしちゅー(当時は海砂利水魚)や、土田晃之がいたU-turn、アンタッチャブルらと舞台やテレビで腕を競い合った。「進ぬ! 電波少年」などのテレビ番組で活躍し、相方だったテルが2004年にロバート・デ・ニーロものまねでブレイクするも、不仲となり、どーよは2009年に解散した。
解散後はナレーターやレポーターとして活躍していたが、母親が亡くなったことをきっかけに人生を見つめ直し、親戚との会話に出た宅建(宅地建物取引士)の資格取得に向けた勉強を開始する。45歳の時だった。3ヵ月間の猛勉強で宅建に合格すると、2級ファイナンシャル・プランニング技能士、管理業務主任者、マンション管理士といった難関資格を次々と取得した。そして最後の"大ボス"として資格取得を目指していたのが「司法書士」だった。解散の経緯や資格の勉強を始めたきっかけは「デイリー新潮」の過去の記事で紹介している。
司法試験、公認会計士試験と並ぶ「最難関」
司法書士試験は、巷の"国家試験難易度ランキング"で、司法試験、国家公務員総合職、公認会計士、弁理士などと並んで「最難関」に分類されている。司法書士は法務省の管轄下にあり、資格を得ると不動産登記や商業登記、裁判所手続、債務整理、相続などの業務を行うことができる。2023年は1万3372人が受験し、合格者は695人だった。
この難関試験を、ケンキはどのようにクリアしたのか?
「勉強を始めたのは6年半前です。最初は安い通信教育を見つけて1年半やったんですが、正直、これじゃあ絶対に受からないと悟って、学校に通うことにしました。最もいい先生、効率的な先生を調べ、その先生がいるところに1年間通いました。学校では"どう勉強すれば良いか"というノウハウを学べたことが大きかったです。資格を取るために学校に通ったのはこの時だけ。あとは独学です。完全に独学では無理だし、安くあげようとお金をケチっちゃダメでした」
勉強を始めた頃は教材を見ても全く内容が頭に入ってこなかったという。
「最初は本当にチンプンカンプン。"何これ? 意味がわからない。こんなの太刀打ちできない! 無理だ!"みたいな感じでした。でも人間ってえらいもんで、学校があった頃は4時間授業を受けて家で4時間勉強して、何もない日は家で8時間勉強して、という生活を続けていると、どんどん内容がわかるようになり、正解できるようになって、6年経ったらどんな問題を出されてもほぼなんでも答えられるようになっているんですよ」
「1回目は始めて半年後、まだ通信で勉強していた時です、2回目は学校に通い出した頃で、勉強は全然終わっていませんでした。"お試し受験"といって、始めたばかりの人もみんな受験しています。雰囲気に慣れたり、本物の試験での時間配分を知るためです。僕はこの2回がお試しで、次からが本気の試験でした」
「難しい上に範囲が広いんです。午前中に憲法、民法、刑法、商法(会社法)の4科目の5択問題が35問。時間は2時間です。午後は民事訴訟法、司法書士法、供託法、不動産登記法、商業登記法など7科目の5択問題35問と記述が2問。時間は3時間です。記述は例文として事実関係が示され、それを元に登記の目的、登記記録の欄に記録される情報と申請人、添付情報や登録免許税額を順番に書け、といったもので1問に1時間ぐらいかかります」
「学校に行くと授業の冒頭で先生は必ず言うんです。『勉強は大変だけど、とにかく頑張って。人生を変えられる資格だから』って。勉強は本当に大変で、特に試験直前は脳みそが腫れて目から血が出るほどやってました(笑)」
ケンキは自分の経験を踏まえて、そろそろ定年などで第二の人生を迎える同世代、そして若い人たちにこんなエールを送る。
「僕なんか高校の時はあまり勉強してなかったし、卒業してすぐ芸人の世界に飛び込んだから、大学受験もしていません。ずっと学問的な勉強はしてなかったけど、45歳の時に宅建の勉強を始めてから、勉強の楽しさを知り、司法書士の資格まで取れるようになりました。僕と同世代の定年退職が視野に入ってくるサラリーマンの方々も、これからどう生きるか迷っている若い人たちも、仕事や子育ての忙しさのために何かを諦めることなく、こんな僕の姿を見て"自分も何かやれる"と動き出してもらえれば嬉しいです」」(引用終わり)
2.話の中で見る学習方法