しかし、時が経つにつれて、フェルナンデスというブランドの認知度は徐々に低下していきました。かつては音楽雑誌での大々的な広告展開が功を奏していましたが、インターネットの普及とともに、雑誌自体の影響力が低下し始めます。その結果、フェルナンデスは新しいメディアを活用したマーケティング戦略に柔軟に対応できず、若者の間でのブランド認知が次第に薄れていきました。新しい世代の音楽愛好者たちは、フェルナンデスよりも、他のブランドに興味を持つようになり、その結果、販売機会も減少していったのです。やはり、他の国内メーカーがかつてのフェルナンデスと同じ戦略で台頭してきたことと、その後、フェルナンデスブランドと並行してBURNYや、有名クラフトマンの立ち上げたZODIACとブランドを分けたことも、少なからず影響していると思います。
3. 効果的なマーケティングの欠如: 戦略の失敗がもたらした結果
フェルナンデスの認知度低下の大きな原因は、マーケティング戦略の失敗にあります。特にインターネットが主流となった時代において、デジタルマーケティングの重要性が増していく中で、フェルナンデスは従来の広告手法に固執し、変化に対応できませんでした。たとえば、他のギターブランドがSNSを活用して若者とのコミュニケーションを図る一方で、フェルナンデスはそのような新しいマーケティングチャネルを効果的に活用することができなかったのです。また、ブランドのアイデンティティを再定義することなく、時代遅れのイメージが定着してしまったことも、若者からの支持を失う原因となりました。
私のような親父が覚えているフェルナンデスは布袋モデルやBUCK-TICKのモデルだったわけですが、最終的に布袋モデルもしくはテレキャスモデルのみしか販売していなかったような気がします。廉価版は中国製、日本国内で生産しているモデルは10万から50万円と、海外の有名ブランドと比べても混色ないような価格になってしまっていました。すでにそこには、価格はそれなりでかっこいいフェルナンデスとは、一線を越えてしまっている状態でした。