人生に「途中下車」してもいい ――一つの列車を降りる勇気が、別の人生を連れてくる

2026年02月28日

人生は一本のレールの上を終着駅まで走り切る列車ではありません。途中下車してもいいし、別の列車に乗り換えてもいい。むしろ、自分の意思で一度降りるという選択が、人生を「自分のもの」にする瞬間なのではないでしょうか。かつて「会社を辞めること=人生の脱落」と感じられていた時代に、私は30歳で留学という途中下車を選びました。不安も恐怖もありましたが、結果としてその選択は、より厳しく、より刺激的で、しかし確実に納得できる人生へと私を運んでくれました。本稿では、その体験を軸に、「途中下車」という生き方の意味を、哲学的な視点も交えて考えてみたいと思います。

目次

  1. 人生は「定年退職行き」の列車だった時代
  2. 「降りたら終わり」という恐怖の正体
  3. 30歳、留学という途中下車
  4. 次の電車は来ないかもしれないという不安
  5. 降りてみて初めて見えた景色
  6. 以前よりハードな列車に乗るということ
  7. 哲学が教える「立ち止まる勇気」
  8. 途中下車は逃げではなく、選択である
  9. 何度降りても、人生は続いていく
  10. 終着駅は一つではない

1. 人生は「定年退職行き」の列車だった時代

バブル崩壊後の日本社会には、まだ強固な人生モデルが存在していました。新卒で会社に入り、年功序列の階段を一段ずつ上り、定年退職という終着駅に向かって一直線に進む。その列車に「全員が乗っている」ことが、安心であり、正解であると信じられていた時代です。

列車から降りる人はほとんどいません。降りる人がいれば、「何か問題があったのではないか」「脱落者ではないか」と囁かれる。途中下車は自由ではなく、リスクであり、恥であり、恐怖でした。

2. 「降りたら終わり」という恐怖の正体

「一度会社を辞めたら、もう戻れない」「次の電車は来ないかもしれない」。こうした言葉は、当時の社会に溢れていました。しかし今振り返ると、その恐怖の多くは、事実というより"物語"だったように思います。

それは、同じ列車に乗り続ける人々が共有していた安心の物語です。物語から外れることは、未知の世界に一人で立つことを意味しました。人は未知を恐れます。だからこそ、「降りない理由」を無数に作り出していたのです。

3. 30歳、留学という途中下車

私が途中下車を決意したのは30歳のときでした。「留学したい」という気持ちは、理屈ではなく、内側からどうしても消えない衝動のようなものでした。

周囲からは反対もされましたし、自分自身も迷いました。安定した列車から降りることは、キャリアの空白を意味し、将来の保証を手放すことでもありました。それでも最終的に私を動かしたのは、「このまま乗り続けたら、一生後悔する」という直感でした。

4. 次の電車は来ないかもしれないという不安

途中下車のホームに立つと、想像以上に心細いものです。時刻表はありません。どんな列車が来るのかも分からない。あるいは、本当に何も来ないかもしれない。

この不確実性こそが、途中下車の最大の恐怖です。しかし同時に、それは「自分で選び、自分で歩く」という自由の始まりでもあります。列車に乗っている間、進行方向は自分で決めていませんでした。降りて初めて、進む方向を考える必要が生まれるのです。

5. 降りてみて初めて見えた景色

留学生活は、決して楽なものではありませんでした。語学、文化、価値観、すべてがこれまでの常識を揺さぶってきました。しかしその揺さぶりこそが、私を成長させました。

以前の列車に乗っていたままでは、決して見ることのなかった景色があります。異なる価値観を持つ人々との出会い、自分の未熟さを突きつけられる経験、それらはすべて「降りたからこそ」得られたものでした。

6. 以前よりハードな列車に乗るということ

皮肉なことに、途中下車の先で私が乗ることになった列車は、以前よりもずっとハードで刺激的なものでした。安定も保証もありません。しかし、その分だけ、自分の選択に対する実感があります。

誰かに用意されたレールではなく、自分で選んだ列車に乗っているという感覚。それは、不安と同時に深い納得感をもたらしました。

7. 哲学が教える「立ち止まる勇気」

哲学者キルケゴールは、「不安は自由のめまいである」と言いました。選択肢があるからこそ人は不安になる。しかし、その不安を引き受けることが、人を主体的な存在にするのです。

途中下車とは、まさにこの不安を引き受ける行為です。立ち止まり、考え、選び直す。そのプロセス自体が、人を成熟させるのだと思います。

8. 途中下車は逃げではなく、選択である

途中下車というと、「逃げ」という言葉で語られることがあります。しかし、惰性で乗り続けることこそ、実は最も無自覚な逃避かもしれません。

自分の人生に違和感を覚え、それでも一度立ち止まる。それは、逃げではなく、責任ある選択です。

9. 何度降りても、人生は続いていく

人生の途中下車は、一度きりである必要はありません。キャリア、役割、家族関係――どれも、必要なら何度でも降りていい。人生は線ではなく、点と点の連なりです。

10. 終着駅は一つではない

終着駅は「定年退職」だけではありません。納得、充実、静かな満足。それぞれの人が、それぞれの終着駅を持っています。

あのとき途中下車してよかったと、私は今、心から思います。もし今、降りるかどうか迷っている人がいるなら、こう伝えたい。人生は、途中下車しても、ちゃんと続いていくのだと。

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