1.満州国における戸籍の取り扱い
満州国(または満洲国)は、かつて存在した国家で、1932年から1945年まで存在しました。正式名称は「満洲帝国」で、日本によって中国東北部の満洲地域に建国されました。
第二次世界大戦が進む中、1945年の敗戦に伴い、満州国は崩壊し、溥儀は戦犯として起訴されました。中国東北部は再び中華民国(中華人民共和国の前身)の統治下に戻りました。
満州国に駐在した日本人は、本土に本籍地を置いたまま活動をしていた
ため、「満州の戸籍」というのは実はないのです。 当時は、満州国の全権大使に出生を届けると、本土のその家の役場に通知がいき、その家 の戸籍に入る手続きが取られていました。
つまり、日本に置いていた本籍地で、満州国で生まれた方の戸籍も取得可能です。
実務上でも、特に問題なく戸籍を取得することができました。
戸籍には、「昭和〇年〇月〇日満洲国東安省東安市東安陸軍官舎〇の〇で出生父A届出同年〇月〇日在満洲国特命全権大使受附同月〇日送付入籍」と記載されていました。
2.未帰還者に関する特別措置法の戦時死亡宣告(せんじしぼうせんこく)
「戦時死亡宣告(せんじしぼうせんこく)とは、未帰還者に関する特別措置法2条1項に基づき未帰還者(未帰還者留守家族等援護法2条1項に規定する未帰還者)について厚生労働大臣の請求により行われる失踪宣告(未帰還者に関する特別措置法2条3項参照)。
太平洋戦争終結後、旧満州など、海外に行ったまま日本に帰って来ない未帰還者の整理を進めるために設けられた制度。1959年に成立した未帰還者に関する特別措置法により、生死不明の未帰還者が戸籍上は死亡したものとして扱われることとされた。」(Wiki引用)
厚生労働大臣の請求により、戦地からの未帰還者に関しては、戸籍上死亡宣告をすることで、死亡みなしという取り扱いになっています。
「敗戦後に旧満州や中国、南方(東南アジアやオセアニア)などから引き揚げた軍人軍属と民間人は計約630万人にのぼり、混乱の中、消息不明の人が数多く残された。1959年、7年間以上生死不明の未帰還者に戦時死亡宣告ができる「未帰還者に関する特別措置法」が成立。厚生労働省社会・援護局によれば、2万583人が宣告を受けた。2012年3月末時点で336人が未帰還とされている。戦死した日本人は約310万人で、うち約240万人が外地で死亡した。」(Wiki引用)
帰還できなかった方で、死亡宣告を受けた方が数多くいることがわかりました。
3.まとめ